友がみな我より偉く見ゆる日

読書とか登山の記録とか

けとばせ。

昨日は、空が群青色した、やけに鮮やかな夜だった。雲がくっきり見えて、反対に町はなんだかぼやけて見えた。プテラノドンの形をした雲が浮かんでいた。

 

夜9時、デリバリーのバイクで夜の町を走る。ナイター設備に照らされた校庭の脇を通ると、サッカー少年たちの声が聞こえて、わけもなく泣きたくなった。高校の部活なんて、泣くほど戻りたい場所でもないのに、なぜだろう。

雨の後だからか、空気がひんやり湿っていた。街灯のまわりにまるく虹が滲んでいる。頑張って光っている自動販売機。使うもののいない公衆電話は、やっぱり寂しそうに見えた。当たり前だけど、夜の町では光ばかり目立って見える。

駅前に出ると、イルミネーションが始まっていた。ナイターのライトには心が動いたのに、イルミネーションは空々しく見える。ヤケクソみたいにカラフルに点滅している。

夜の底で文明の光を見ていると、全部嘘っぱちみたいに思えてきた。山や森や空や星や、そういうのが本物で、行き交う車も眠らない町も、全部偽物。盲目的で使い古された自然信仰って感じがする。しょうもない。

 

僕はこれからどういうふうに生きていくんだろう。不安なわけじゃない。中学生じみた根拠のない万能感が僕の中にはまだ生きていて、その気になればなんでもできるって思ってる。でも、なんでもできたところで、何かを成し遂げたところで、それがなんだって言うんだろう。自分のまわりの世界も自分の人生もそこそこ気に入っているけれど、何だかくだらないなあという気持ちは消えない。

 

ぐちぐち考えながら店に帰ると、注文が立て続けに入って残業が確定し、強烈にイライラした。同時に、それまで感じていたあれこれは、どこかへ消えてしまった。ちょっとした感傷なんて、日常に根ざした感情の前にはあっさり消し飛んでしまうんだろう。たぶん、ずっとこうやって生きていくんだろう、みんな。

 

とってつけたような感傷を蹴っ飛ばせ。

 

こんなことは全部、30年も前にブルーハーツが歌ってた。『ブルースをけとばせ』。

マイク・タイソンみたいにやってやる。