竹宮ゆゆこが、好きです。
実は『わたしたちの田村くん』は読んだことがないけれど、それはさておき、好きです。
『とらドラ!』は僕の青春時代に深く突き刺さってるし、『ゴールデンタイム』はムムム感あったけど結局愛しさだけが残ってるし、『知らない映画のサントラを聴く』では電撃文庫を飛び出しても変わらない作風に安心させられたし、『砕け散るところを見せてあげる』には真髄を見た思いがしたし、『おまえのすべてが燃え上がる』のあたたかさに胸を打たれた。
好みが分かれる作家であることは理解しています。特に「ゆゆこ節」とも言われる独特の文体は嫌いな人は嫌いでしょう。
でも僕は大好きです。
というわけで今回は、
『あしたはひとりにしてくれ』です。
「ゆゆこ節」の功罪
竹宮ゆゆこさんの書く文章は、本当にテンポが独特です。言葉選びも。
ラノベにありがちな無駄な修辞語やモノローグだらけの読みにくい文章というわけではなく、かと言って淡泊でもなく、カジュアルな文体から繰り出される意味不明なテンポ感。
でもね、僕はこの文章好きですけどね、結構サムいときも多々あるんです。男子高校生どうしの会話とかね、見てらんない。読んでるこっちが恥ずかしくなる。だから、この作風を嫌う人の気持ちもよくわかります。
ただ個人的には、このアンバランス感こそが大きな魅力だと感じています。意味不明なテンポに乗せられているからこそ、佳境でのスピード感とキャラクターの衝動が際立つような気がします。
いつか誰かが見つける、ただそこにある、「愛」
竹宮ゆゆこ作品に一貫して流れるテーマは、「愛」だと思うんですよね。こうして書くと恥ずかしいけれど。もっと言えば、「そういうことになっている」というやつ。
『とらドラ!』の冒頭では、以下のように書かれています。
この世界の誰一人、見たことがないものがある。
それは優しくて、とても甘い。
多分、見ることができたなら、誰もがそれを欲しがるはずだ。
だからこそ、誰もそれを見たことがない。
そう簡単には手に入れられないように、世界はそれを隠したのだ。
だけどいつかは、誰かが見つける。
手に入れるべきたった一人が、ちゃんとそれを見つけられる。
そういうふうになっている。
竹宮ゆゆこさんの書きたいことって、ほとんどこれですべてなんじゃないかと思うんです。ここで「手に入れるべきたった一人」と書かれているのは、恋愛感情の行き着く先としての愛情を表しているからでしょうが、竹宮作品で描かれているのは必ずしもそういった愛だけではありません。
竹宮作品には、複雑な家庭環境を持ったキャラクターが頻繁に登場します。『とらドラ!』は顕著ですし、『砕け散るところを見せてあげる』『おまえのすべてが燃え上がる』もそうでした。愛情に飢えた彼らは、やがて周囲を取り巻くたくさんの人たちの不器用であたたかい愛情を見つけます。
そういうふうになっているから。
愛はただそこにあるもので、いつかは見つけるもの、いつかは誰かに見つけてもらえるもの。
そういった意思が、根底に流れているように感じます。
家族とはなにか
しかし、これまでの作品は、あくまで男女間の恋愛をメインに据えた(少なくとも、そう見える)ものばかりでした。
『あしたはひとりにしてくれ』には、恋愛要素は全くと言っていいほど登場しません。あるのは主人公・瑛人と謎の女性・アイスを取り巻く家族の愛情。『あしたはひとりにしてくれ』は明確に家族愛の物語です。
瑛人は幼いころに実の親に捨てられ、月岡家の養子になった。実の息子同様に扱ってもらっていると感じてはいるけれど、一方で家族を自分のものだと感じられない。いつ失ってもおかしくないとしか思えない。そこから生じるもやもやを、ぬいぐるみのくまを殺しては埋めることで発散している。
アイスは瑛人がくまを埋めたところで死にかけていたところを発掘された。金も荷物も帰る場所も持たない謎の女性で、瑛人の前からもさっさと消えようとする。しかし、なし崩し的に月岡家の居候となり、徐々に家族の一員になっていく。
そんな2人が月岡家の奇妙な人々の家族愛に包まれながら、お互いへの愛にも気がついていく。これはそういう物語です。
家族とはなにか。そう問い続けていた瑛人が最後に流す涙には、心が熱くなります。
恒例のオカルトメタファー
竹宮ゆゆこさんは「UFO」やら「幽霊」やらの表現をよくよく好むようです。
『とらドラ!』では恋心の隠喩としてUFOについて櫛枝が語るシーンがありました。『ゴールデンタイム』では万里の失った記憶を持つ幽霊的サムシングが登場しました。『砕け散るところを見せてあげる』においてはUFOは玻璃を脅かすもののメタファーでした。
そして今回も、主人公・瑛人の抱えるもやもやが「おばけ」と表現されています。「おばけ」は放っておくとどんどん存在感を増していき、瑛人は定期的にぬいぐるみのくまを殺すことで「おばけ」を消し続けています。
「おばけ」は瑛人にとっては幼いころに別れた実の母からの幻の愛情であり、周囲からの愛情を信じることが出来ない無力な自分そのものでした。
竹宮ゆゆこさんにとって、「UFO」「幽霊」「おばけ」は、「見えないけれど見つけたいもの」「見つけたいけれど消し去りたいもの」の象徴であるようです。
次の作品は
ここまで、この作品が最新作であるかのような書き方をしてきましたが、実際には違います。僕が読んだ中でも『おまえのすべてが燃え上がる』のほうが新しいですし、それよりもさらに後に書かれた『応えろ生きてる星』という作品もあります。
というのも、竹宮さんが文春文庫で書いていることを全く知らなかったんですよね。近所の書店には入荷もしていなかったらしく、チェックから漏れていました。ついこの間、『あしたはひとりにしてくれ』が文春文庫から出ていることを知り、慌てて購入しました。『応えろ生きてる星』も早く手に入れたい。
長々と書いてきた通り、竹宮さんは一貫してほぼ同じテーマで作品を書かれています。作品の構造的にも共通するものが多いように思います。それはそれでファンとしては嬉しいんですが、そろそろ全く違う物語も読んでみたいなぁと思わずにはいられません。
ただ、『応えろ生きてる星』も、タイトル的に同じ流れを汲んでいるような気がします。語感もそうだし、「生きてる星」というあたりに新たなオカルトメタファーの気配を感じます。
まあ、なんにせよ読むんですけどね。
追記
竹宮ゆゆこ作品の感想記事は、下記のサイトが素晴らしいです。
滅びゆくじじい 「砕け散るところを見せてあげる」感想~竹宮ゆゆこ作品史上もっともゆゆこらしく、もっともわかりやすい物語~
これは「砕け散るところを見せてあげる」の感想。この記事もかなり影響を受けています。