『太陽の塔』は森見登美彦氏のデビュー作で、氏の原点と言っていいはずだ。すでに「森見登美彦イズム」は色濃く漂い、とてもデビュー作とは思えない。なんなら最近の作品のほうがよっぽど大衆向けに感じる。妄想と屁理屈をこねくりまわす「私」とそれを取り巻く男たちは、一般大衆を拒絶しているようですらある。
この作品は、ほとんど私小説なんじゃないだろうか。森見作品にはもっと上等なものがあるかもしれないけれど、他の作品とは一線を画する強い思いが込められているように思えてならない。「私」の手記という形で披露される独白は、大学生時代の登美彦氏自信のものなんじゃないか。
一言でいえば、法界悋気と向かい合う男子大学生の話である。
法界悋気だなんて聞いたこともない言葉だったけれども、本作の中では何度となく登場する。そして、この物語を表すのにこれ以上適した言葉もない。
法界悋気 ほうかい-りんき
自分に無関係な人のことに嫉妬すること。また、他人の恋をねたむこと。
「私」は自分を振った水尾さんを研究と称して愛車の「まなみ号」でつけまわし、同じくストーカー行為に及ぶ男と暗闘の末に謎の絆を築き、法界悋気の泥沼であえぐ仲間たちと共に幸せな男女に暗い炎を燃やす。京大生狩りから逃げ、ビデオ屋に通ってジョニーをなだめ、仲間たちと無益に集まり、鴨川等間隔の男女に混じって調和を乱し、クリスマスの妨害を企て、水尾さんとの思い出を振り返っては悶々とする。
「何かしらの点で、彼らは根本的に間違っている。なぜなら、私が間違っているはずがないからだ」
「みんなが不幸になれば、僕は相対的に幸せになる」
そんな戯言を吐く彼らは、型にはまった幸せに勤しむ男女を軽蔑し、「精神の合理化」を図ることで恋愛感情などという不合理なものを排した幸せを獲得しようとしている。と述べている。だがその実、型にはまった幸せを求めている。
彼らはお互いにそれを理解しながら、理解しているからこそ、寂しさや悔しさを紛らわすためにそんな屁理屈をこね合い、ことさらに法界悋気を高ぶらせてみせるのだ。
型にはまった幸せもいいじゃないか。恋心がどうでもいいわけないじゃないか。
そういう、さえない独白である。
以上。
森見登美彦作品を読むと、こういう書き散らし的文章が書きたくなるんだけれど、自分がやったのでは本当にただの書き散らしになってしまう。森見登美彦氏は偉大である。
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