本と山と東大生

理系東大院生の読書日記とそのほかいろいろ

伊藤計劃『ハーモニー』 -わたしの身体とわたしの意識

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僕はこれを読んで、エヴァンゲリオンの人類補完計画を思い出しました。

エヴァにおける主人公シンジくんは、人類補完計画が何なのかわからないまま場当たり的に戦わざるを得ませんでしたが、『ハーモニー』ではその真意と真っ向からぶつかっていきます。

 

以下、ネタバレを含むので嫌な人はブラウザバックしてください。

 

この物語の舞台は、医療が高度に発達した福祉社会。人々は大人になると体内にWatchMeというソフトウェアをインストールし、健康状態を常に監視する。異常があれば直ちに体内のメディケアによって対処されるため、あらゆる病気は事実上駆逐された。統治の主体は「政府」から「生府(ヴァイガメント)」へと移り、そこでは「人間」というリソースが最も重要視され、構成員の健康を保つこと、そのための努力を怠らないことが義務とされている。酒やタバコのような身体に悪いものはすべて排除され、健康的にプランニングされた食事をとる。拡張現実(AR)によって、人々は自分のプロフィールと健康状態、社会評価点を常に社会へ晒している。優しさによって相互に監視し合う、生命主義社会。

 

この設定よ。すげくない?(語彙力)

医療が発達した「誰も病気にならない世界」というのは、SF的な未来観としては割と思いつきそうなものに思えます。だけど、そこからの掘り下げがすごい。平和で健康な優しいディストピア。

 

物語冒頭、この世界の息苦しさが3人の少女によって語られる。少女たちの首魁は御冷ミァハ。デッドメディアとなった紙の本を読み漁り、豊富な知識を蓄え、メディケアを悪用して毒を作る方法を知っていて、「わたしの身体は全部わたしのもの」と語る。ミァハ先導の元、彼女たちは社会への反逆として自殺を試みる。

しかし、死ねたのはミァハだけだった。他の2人、霧慧トァンと零下堂キアンは生き延びる。キアンは社会へ順応していく一方、トァンは自分がミァハのドッペルゲンガーになっていくように感じる。そして大人になったトァンは、「生命権の保全」を旗印に政府や生府を査察する螺旋監査官となった。生命主義の手から逃れ、紛争地帯で酒やタバコを嗜むために。

 

ここまでで、僕はすっかり魅了されてしまった。トァンの口から語られる世界と、トァン、ミァハというカリスマ的なキャラクターによって。タバコが吸いたいがために紛争地帯に赴く女性、イイネ。タバコは嫌いだけど。

 

「わたしの身体はわたしだけのもの」

これが、 『ハーモニー』を貫く第一のテーマです。

ではもう一つは何か。

 

誰も病気にならない、誰もが生命と健康を第一にする世界で、同時刻に集団自殺が起こる。混乱する世界の中に、トァンは死んだはずのミァハの影を見出す。目の前で自害したキアンのため、トァンは捜査を始める。

調べていくうち、人間の脳を操作し、意志を制御する技術の存在に行き着く。人体を監視し制御するメディケアを用いれば、脳も例外にはなり得ない。

人類は身体の健康を外注に出し、人体を標準化するため、制御下に置いた。では、なぜ意識だけが、そうしてはならない聖域たりうるのだろうか。

 

「人間の意識には、生物としての進化の産物という以上の意味があるのか」

これがもう一つのテーマ。

「わたし」を「わたし」足らしめているのは自らの意識だけれど、そもそも「わたし」は必要なのか。

 

「わたし」の身体が「わたし」だけのものでない世界を憎みながら、「わたし」を手放すことで社会というシステムそのものになり、世界を愛そうとしたミァハ。

ミァハの憎しみに共感し、「わたし」の聖域性に疑問をいだきながらも、復讐という限りなく「わたし」本位な理由でミァハに迫り、「わたし」を慈しむトァン。

ラストシーンが近づき、この対比はとても美しい。

 

人間だけが意識を持っている(ように見える)ことに意味があるのか、みたいなことは誰でも一度は考えるとは思いますが、それを突き詰めていったところの一つの答えが『ハーモニー』にはあります。

人間の動物性、進化の過程における継ぎ接ぎによる生得物である意識、心、魂。それ以上の意味はあるのか。

それに悩みながら、「わたし」を愛し続けたトァンに、深く共感させられました。

 

というわけで、実に面白かったです。

前作の『虐殺器官』は、面白いけれども過剰にサスペンス的でSFとは言い難いな、というのが感想でしたが、『ハーモニー』は非常に思想的に深いSFであるように思います。個人的には、こっちのほうがずっと好き。

それだけに、伊藤計劃のオリジナル作品がこの二作しか存在しないことが残念でなりません。もっと読んでみたかった。病気に苦しみ、夭逝された伊藤計劃だからこそ、『ハーモニー』が書けたのかもしれませんが。

円城塔が冒頭以降を引き継いだ、『屍者の帝国』も読んでみなければ。

 

 

最近なかなか本が読めておらず、感想記事も書いていませんでしたが、久しぶりにちゃんと書けました。よかった。

 

 

ハーモニー (ハヤカワ文庫JA)

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